神戸・酒鬼薔薇事件から15年

コメポ

1997年、神戸で当時小学6年生だった男の子が少年に殺害された児童連続殺傷事件(通称:酒鬼薔薇事件)からきょうで15年が経つ。中学校正門前に被害者の頭部が置かれ、口には「さあ、ゲームの始まりです」と書かれた犯行声明文が差し込まれていたあの時件。かつて見ない悪質殺人として連日メディアはこのニュース取り上げ、また犯人が普通の14歳であった点は社会に大きな衝撃を与えた。犯人の動機としては、殺人や遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じる"快楽殺人者"であったこと、また性的関心と暴力的衝動が分離されない異常者であったことが原因だといわれている。

15年経った今年、被害者の父親は手記で次のように癒されることのない気持ちを述べている。(以下は要旨)

「息子が私達家族の前から姿を消して15年がたちました。今でも息子のかわいい笑顔を、昨日のことのように思い出します。今年も加害男性からの手紙を受け取りました。彼自身に大きな変化があったようで、自分自身に向き合い始めたのではないかと思われるような内容だと感じました。2008年に改正された少年法の見直しが今年から始まります。今回の改正では、条件付きですが被害者の審判傍聴が認められるなど大きく改善されました。しかし、審判傍聴の対象範囲拡大や加害少年の顔が見える場所からの陳述、社会記録の閲覧など、まだまだ多くの課題が残っています。今回の見直しで、少しでもその状況が改善されるように願っています」

また、先日起きた京都府亀岡市の小学生の列に車が突っ込み10人が死傷した事故に対しても触れ、警察が被害者の個人情報を漏らした問題などに関連して犯罪被害者への支援の徹底を訴えている。

もし私が被害者遺族でお子さんをみていたら…発狂して同じことを犯人にしているかもしれません。
毎年残骸な加害者からの手紙…自分だったらどういう行動をするのか…当事者でない私には想像の域を越えています。
毎回思うのですが、彼らにこそ本当の裁判官がつとまるのではないかと思っています。
彼らから学ばせていただいて少しでもなくなった方々がうかばれるようなそんな少年法改正を行っていただきたいです。
事件当時小学生でしたが、模倣犯を恐れて子供よりも大人の方が怯え神経質になっていたのを覚えています。
この加害者は現在結婚し子供も居る、という噂が流れておりますが、もし本当ならこんな畜生にも劣る鬼畜が人間の様な生活を送っている事にゾッとします。

真人間のフリをして亦同じ事を繰り返したら、思うと本当に恐ろしいです。
今の時代は昔と違い、少年と言えども、大人顔負けの情報を得ています。
少年法を逆手に取る少年もいます。
少年であっても凶悪犯罪の場合は、実名公表するべきです。
罪もない被害者の未来を奪い取っていながら、加害者の未来などあり得ないし、あるべきではない。
少年であっても、一生、犯罪を犯した十字架は背負うべきだと思います。
犯罪を犯した時点で、少年の未来はないのです。
厳しくしなければ、少年の凶悪犯罪はなくならない。
ご遺族のかた、優しいかたなのですね。私なら、少年Aを殺しているかも知れない。精神異常のふりをしてね。被害に遭われた子供たちが安らかでありますように。
『今の子ども達は昔から比べるとおとなしくて行儀がいい』…と言うコメントがありましたが!

アナタが知らないだけで、バイクの窃盗なんて日常茶飯事に起きてる事だし、学校の窓ガラスだって割られたりしてます。

・おとなしくて真面目な子だった…
・そんな事するような子には見えなかった…
よくテレビで聞かれる言葉です。
いくらおとなしくて行儀が良くてもダメなんです!

昔の子と今の子の大きな違いは…
犯罪の凶悪度ではなく、人としての心、内面の違いだと思います。

「少年法を改正しろ」と言うなら「子供は純粋な天使論」を見直さなければならない。仮に「少年法の改正」が必然ならば、「子供は悪である」を前提にしてしつけなければおかしいでしょ。「酒鬼薔薇」は病気だった。普通の子供は生物を殺傷して興奮はしない。それでも「酒鬼薔薇」を基準にして子供をはかるという事が、実はそうとうの暴論なのかを認識していますか?それから人間はどれだけ時代が変わろうと心の成長過程は変わりません。だから現在でも「尾崎豊」や「ブルーハーツ」を支持する未成年が一定量存在するんです。その本当の心に向き合わない限り、「酒鬼薔薇」にはならないが、我慢と加減の解らない未成年は増え続けるでしょう。
どんな立場の人だろうが公平に裁かれるべきだと思う
この手の事件(殺人事件)を考える度に、犯人の人権はある程度は保証されているが、
被害者(死亡者)の生きる権利が全く考慮されてない事に、憤りを感じる。

未成年者による犯罪は、年々増加しているのも現実である。
実際、社会の中では若年者の横柄横暴な態度も目につく。(まぁ、大人も目立つが…)

もう少し、社会全体で犯罪に向き合い、真剣に語り考える時期に日本は来ているのではないだろうか?
名前の公表とか言うけど結局、それては、マスコミとお金儲けと、自分達の虚栄心と批判言っての自己満足に使いたいだけでしょう。結局、そんなことに、大義なんてないんだよね。
日頃の鬱憤をはらして、自己満足を得たいなら、自分自身にとってプラスが残る他の手段を考えた方がよほど建設的だと最近は思う。
犯罪抑止のために、また、心から反省して犯してしまった罪を償うために、そして再犯を未然に防ぐためにも、罪を犯した者は氏名等公表されるべきだ。

そして、子供なら何をしても許されるしリセット出来ると安易に思われないためにも少年法にも氏名等の情報公開を適用すべきだ。

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