先だっての7月に三重県鈴鹿市の市立小学校で、暴れた4年生の男子児童の脚を40代の男性教諭が蹴り、男児の父親が傷害容疑で鈴鹿署に被害届を出すという事件があった。傷害容疑をかけられた教諭は「人を蹴ることの悪さを教えたかった。反省している」と話し、男児と父親に謝罪した。鈴鹿市教育委員会などによると、校内で暴れていた男児を担任の女性教諭らが取り押さえ、そこに駆け付けた男性教諭が左脚を蹴ったという。
こういった「傷害事件」とは別に「ビンタ」や「ゲンコツ」といった以前は当たり前のように見られた景色が、保護者から厳しい視線で観察されるようになったのは、ここ最近の事だ。ある一定以上の年齢の人は、学校で何か悪さをしたり怠けた態度をとって、先生から、軽い体罰を受けた経験があるはずだ。NewsCafeのアリナシコーナーでは「先生に体罰を受けたことがある。これってアリ?」という調査を実施。結果と共にさまざまな意見をご紹介しよう。
【アリ…67.9%】
■私の時代には体罰は普通にあったなあ。
■ゲンコツなんて当たり前の世代です。
■今考えたら体罰かな?ビンタや竹刀で頭や太もも叩かれたりしてた。
■体罰は今でも忘れない!理不尽な先生は許せない。
■ビンタやゲンコツは当たり前だった。今の学校は生徒を甘やかし過ぎ。
■愛のある体罰だった。今は親がうるさ過ぎる!!
■体罰と言えるかな?中学時代は竹の棒でコンとやられていた。いい思い出ですよ。
■筋が通っていて理不尽でなければいいと思うけど。
【ナシ…32.1%】
■だって昔はそれが当たり前だったので、体罰とは言わない。
■ナシだけど理由がある体罰は必要かな…。
■先生の機嫌で殴られるのは体罰。自分が悪い場合は違う。
■私自身はない。でも、悪さをしたら叩かれて当たり前だと思っていた。
■体罰?今はそう言うのね。うちらの頃は叩かれた時代だから。
■あっ、クラス女子全員が渡り廊下で正座30分っていうのがあった。これも体罰?
【アリ派】がおよそ7割を占める圧倒的な結果に。その中を見てみると、「自分の世代は当たり前だった」という声がほとんどだった。そのほかに、「愛のある体罰」「体罰を受けたというより、いい思い出になっている」という意見も見られた。学園モノのテレビドラマで人気を呼んだものに「ごくせん」「GTO」があるが、いずれも人気コミックを原作として、しかもドラマもシリーズ化するほどヒットした。共通するのはどちらも荒廃した学校に現れる"救世主"として先生が描かれる事だ。非行、暴力、さらに先生からの「体罰」のシーンも出てくる。しかし、どちらの主人公、担任教師とも受け持つクラスの生徒から慕われる。ここには先生と生徒の間に絶対的な信頼関係がある。もちろん作り話だが、現在の学校で失われたものだろう。昔よりも生徒と先生との信頼関係、生徒から先生への尊敬の念が薄くなってるので、子供が体罰を受けると大騒ぎする、という問題にもなるのかもしれない。一方、【ナシ派】の意見を見てみると、「昔は当たり前だったから、体罰という認識はなかった」「悪さをすれば叩かれるのは当然」など、【ナシ派】の回答者だが、先生から叩かれたりする事、イコールすべて体罰とは思わない、という主旨の声が聞かれた。これは【アリ派】の意見に見られたものと同様な事を指すようだ。つまり、「体罰」という言い方よりも、愛情がこもっているから、「指導」だったのでは、という意味なのだろう。昔の学校では体罰はいわば公認だった。しかし、認められていた背景に、先生は尊敬される存在だったから、という理由もあったのかもしれない。
[文:羽生弘]
先生からの体罰経験が…
コメポ
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学級委員だから皆を代表して殴る、と往復ビンタが得意な野郎、授業中に私を名指しで 死ね!と叫んだ女、今コイツらが共済年金でのうのうと暮らしているかと思うと腸が煮えくり返る。
[女性/40代/その他]
8
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愛情ある体罰ならいいのだろうが、理不尽な体罰ならダメ
ここまでは当たり前だが、事情をしらない他人からは区別できないでしょ?だから全面禁止なんだよ。
ここまでは当たり前だが、事情をしらない他人からは区別できないでしょ?だから全面禁止なんだよ。
小学生の時、給食を粗末にしてクラス全員が先生からゲンコツをされた
生徒が悪いことをしての体罰はアリではないかな?理不尽な体罰ややり過ぎな体罰はナシだな
生徒が悪いことをしての体罰はアリではないかな?理不尽な体罰ややり過ぎな体罰はナシだな
中学のとき、明らかにそのときの気分で殴る先生がいた。不満はもちろんあったが「世の中には理不尽なことも存在する」ってことをガキのころに学んだんだと、今は思ってる。社会に出て理不尽なことにぶち当たったことは多々あるが、中学の経験がクッションになってくれてたんだと今になって思う。だからその先生を反面教師として感謝している。まともな人間ばかりじゃない世の中で生きていくためには、理不尽な体罰も必要だと個人的には思う。こんなことを思う俺自身も、もしかしたらまともじゃないのかもしれないなぁ。
足が折れたりするようなら訴えられても仕方ないけど、状況や程度によりますね。
私は小1の母ですが、げんこつ程度の罰はありだと思います。
ただ、この子は暴れていたとのこと。もし、ADHD等のじっとしていられない(自分ではコントロールできない)障害がある子供で、それを学校に伝えてたとしたら親が怒るのも理解できます。発達障害は本人とその家族が一番辛い思いをしているから。
私は小1の母ですが、げんこつ程度の罰はありだと思います。
ただ、この子は暴れていたとのこと。もし、ADHD等のじっとしていられない(自分ではコントロールできない)障害がある子供で、それを学校に伝えてたとしたら親が怒るのも理解できます。発達障害は本人とその家族が一番辛い思いをしているから。
小・中・高校と、悪ふざけへのゲンコツから部活での平手打ちという闘魂注入をたくさんしてもらいましたね~。
もちろん恨みなどなく、道を正して頂いたと感謝してます。
その様な先生の共通点は、皆さん生徒の立ち位置まで歩み寄ってくれていることですよね。当然人気もありました。
無関心、無難な授業、給料のための仕事。そんな先生イヤだな。
熱い指導をしやすい現場作りを期待します。
子供の良き思い出として残りますように。
もちろん恨みなどなく、道を正して頂いたと感謝してます。
その様な先生の共通点は、皆さん生徒の立ち位置まで歩み寄ってくれていることですよね。当然人気もありました。
無関心、無難な授業、給料のための仕事。そんな先生イヤだな。
熱い指導をしやすい現場作りを期待します。
子供の良き思い出として残りますように。
いましたよ、する先生が何人も。集合が遅い、並びが曲がってる、それだけでビンタ。当然生徒に嫌われてたし反発する人もいましたが、私の担任だけは違いました。それは、殴る前に必ずその理由を相手に言うこと、万が一間違ったら生徒にも必ず謝ることからでした。ちなみに担任は『処刑棒』という竹刀をいつも持ち、使われた時には叩かれた生徒の名前を棒に書いてましたが、その中には自分の名前も入ってました。今こうして言葉で書くと怖そうだし、問題になりそうですけど、その担任の先生はその後も大人気でしたよ。あくまでも『体罰』と『暴力』は違うんです。その区別がつけられない親がモンペになり子供を甘やかしてんじゃないのかな。
中学時代の昼休み、ちょっと響く場所で牛乳パックを踏みつけて音を鳴らして遊んでいただけの下級生を体育教師が見つけてボコボコにしていた。
あれは殴る蹴るの暴行だった。
自分達世代以上は体罰を肯定する傾向があるけど、当時体罰と暴力を混同している教師は多かった。
体罰を否定も肯定もできない。
あれは殴る蹴るの暴行だった。
自分達世代以上は体罰を肯定する傾向があるけど、当時体罰と暴力を混同している教師は多かった。
体罰を否定も肯定もできない。
自分を思ってくれての体罰には感謝しています。
先生のヒステリーによる体罰には今でも嫌悪感を覚えます。
今は子供が悪いことをした事実を受け入れられない親が多く(親の前では子供がお利口に振舞うから)
そんな変な親に変に気を遣う先生もいて(すぐに教委に訴える親がいるから)
廊下に立たせたりもしませんね。
先生、親、子供に信頼関係があれば、その子のために体罰が有効となる場合もきっとあるのでしょうけどねえ。
先生のヒステリーによる体罰には今でも嫌悪感を覚えます。
今は子供が悪いことをした事実を受け入れられない親が多く(親の前では子供がお利口に振舞うから)
そんな変な親に変に気を遣う先生もいて(すぐに教委に訴える親がいるから)
廊下に立たせたりもしませんね。
先生、親、子供に信頼関係があれば、その子のために体罰が有効となる場合もきっとあるのでしょうけどねえ。
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