未来の命につながる判決だ

コメポ

子どもを亡くした悲しみで、裁判起こしたのか?それとも純粋に未来の為なのか、俺にはわからないが、もし自分がその場に居て、巨大な津波が襲ってくると、果たして想像でき、尚且つ適切な判断出来たか自信は無いね。端から見てると、人を怨む事で、悲しみを乗り越えようとしてるみたいで、複雑な気持ちになるね。
東日本大震災の津波で多くの犠牲者が出てますが、皆が皆、大津波警報に最大限の危機感を持って、適切に避難出来た訳ではない。だから犠牲者が出ているのに
、この教師達だけが責められるのが理解出来ない。
勿論、賠償金は其れなりの機関へ寄付するのですよね?未来のために!当然の事ですよね?お金が目当てではないのですから!
裁判所も父兄も教師達が同じ場所にいて自分の命も同じ状況に置いていたことを忘れてないか?、稚拙な避難マニュアルが問題なのは明らかだが先生達か間違っていたと勝ち誇るやつにはヘドがでる。地震も津波も犯罪じゃないんだからさ、遺族にお金が払われることに文句はないが見舞金みたいな形にして欲しいよな。
後出しで結果が分かった後ならなんとでも言うのよ、モンペなんて。
これを機会に、教師には学問と一般的な社会性を教える事以外には責任がない事を明文化したらいい。その代わり、塾なんか必要なくなるほどキチンと学力つけてくれたらいいわ。
子供を迎えに行かなかった親が、代わりに子供の側にいた教師を「断罪」、敵を討ちましたと墓に報告する…地震の後、一人二人と親が迎えに来て帰る子を尻目に、まだ来ぬ親を待って、最後は逃げ場もなくなって…その時の子供の気持ちを考えたら、私にはそんな事できないな。
日頃の認識の問題が問われているのではないか? 日本人は鈍い。わかりづらい人がいるからきつい言葉になってしまうが、司馬遼太郎は言う。勇気と愚鈍は紙一重。 愚鈍を勇気と間違えば悲惨な事態が生じる。思い当たる事がないか振り返り考えてみたが言われてみれば結構あった。 今回日頃の訓練を思い出し、助かった小学生がいたそうだ。 大地震の際何が起きるか予測、予見して行動取った人達が少なからずいる以上仕方がない判決ではないか。要点は命をどう守るか、が目的である。相手は自然ゆえ流れ作業的、則っては通用しない。日頃の認識が問われる。油断大敵。
東北から学校がなくなる方が先だと思う。

やってられるか。
規則云々関係なく気が動転していても安全かつ身近な裏山に逃げるのが、子どもを安全な場所へ避難させねばと思うなら一番だと思う。津波だよ?チャプンくらいの津波じゃ騒がない。避難命令が出ているのに50分かけたのは何だったの?私が親でもそれを知りたい。でも学校に聞いても市に県に聞いても「避難規約に則ったまで」てしか言わない。だから親は裁判を起こし真実を話せと訴えた。でも取り上げられたのは勝訴して数十億の賠償命令が出たことだけ。遺族が願うのは我が子を返して欲しいだけ、それが叶わないから真実を求めてる。いつの世だって子を奪われた親の願いは叶わず賠償金で口を塞がれる。裁判のあり方はそれでいいのか?
およそ、七百年後の未来の命につながる判決です。
これね、問題になっているのは本来失われる事のなかった命をも奪っていること。
安全な自宅に帰宅してた子もわざわざ校庭に召集して死なせている。
この判決みて、残りの遺族も決断するんじゃないの。

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