首から下がまひ しかし…

コメポ

何かを得る為には何かを失う。何かが進化すると何かが 退化していく。果たして 今回どうなるのだろうか?
私は事故とかではなく、原因不明で突然頸椎を患い、現在リハビリに通ってます。日常生活は送れてますが、正直もしかしたらいつか自分の体が動かなくなるかもしれないという恐怖もあります。
でももし運命だと言われれば、もう希望を持ってはいけないのでしょうか。
確かに動物実験は人間のエゴかもしれないけれど、治せるかもしれないという未来をただ素直に喜びたい。
何を言われてもいい。
生きる為の本音です。
怪我をしたり病気になったり…それを運命と呼ぶ事を否定はしないが、それを受け入れるにしろ抗っていくにしろそうして頑張って毎日を生きてる人にこそ「運命」という言葉を口にする権利があると思う。医療もその進歩も人が「生きたい」同属を「生かしたい」というある種の本能の形。是非の意見は各々あるだろうが臓器移植もその中の一つ。動物実験には複雑な思いがあるし、倫理的に歯止めが必要なケースも確かにある。が、救える命を救いたいという意思は「自然に反する」物では無いと思う。傷付いた同属を残して進んでいく物ばかりが「自然」ではない。
父が全身不随です。このiPS細胞が確立されれば、またある日の様に父と肩を並べ歩ける日がくると信じてます
運命論の貴女、云いたいこともよく判るけれど、一部のそれは運命ではなくて、自業自得と言うものです。自分で招いた結果まで「運命」の一言で片づけるから誤解をよぶのです。自業自得は誰をも責めることができません。自分が悪いのです。でも事故や突発的な病気、原因不明な病気で「奇跡」を望むのはいけないことですか?真面目に生きてきて突然事故や病気を発症した人やご家族迄一緒くたに片付けちゃうのはまずいでしょ。いいお年なのですから、もう少し思いやりの気持ちも、ね。
脊椎、頸椎、背骨を傷めると手足が強張り、痺れます。反対されている方はその辛さがわからないのでしょうね。内臓移植と違いいたずらに命を創作する研究ではありません。動けない人が動けるようになるんです。早く保険適用で治療できるようになって欲しいと思います。
反対です
人間の命ロウソクの炎の如く自然の摂理を冒してはいけないです
生まれた人生永らえるだけが人生ではありません。
いかに悔いなく生きたかです。
「運命は変えられるもの」という有名な言葉を贈呈しましょう。
普通の生き物だって突然変異や何やかんやしながら環境に適応することがあることを、どう説明するつもりだろうか。彼等も運命に逆らっていると断罪するのか?
首からした麻痺で一生を過ごさなきゃならないなら死んだ方がましだと思ってしまう、自分なら。でもコレが実用化されたなら生きる希望になるよね。文句あるやつはどんな状況になっても受けなきゃいいんだよ。
運命というのは確かに存在しますよ。全ての出来事が必然なら、事件にあって殺された方など、逆に浮かばれない。

でも医学の進歩により、新たな薬、治療法が出来るのは必然。期待しています。
個人的にはなくなった永久歯が、再び生えてきたら嬉しい。

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