もういくつ寝るとお正月。ということで、クリスマスも終わり後は年末に向かってまっしぐらというわけですが、ここで一つ毎年のように疑問が浮かび上がるわけです。仏教徒であるお坊さんは、クリスマスを行うところもあるが、逆にイエス・キリストに近いはずの「エホバの証人」たちはクリスマスを祝わないということです。お寺でクリスマスは大丈夫なの!?10月の末日に使用した光る鬼灯をアレンジしてみました。皆さんはどんなアレンジをされるかな? pic.twitter.com/R29qFBsAlQ— 松崎智海(非売品僧侶)@浄土真宗本願寺派♪永明寺住職 (@matsuzakichikai) December 22, 2018お寺でクリスマスなんて不思議な話ですが、一部のお寺では普通にクリスマスを行うケースが有るということです。それは子どもたちのためであるとか、偉大な方の誕生日だからなど様々ではありますが、平たく言えば、仏教はそのへん寛容だぜってことのようです。よく考えればお寺でクリスマス会なんてことはよくある話で、もはやそこまで不思議なものではないようですね。しかし逆に「キリスト教」に近い宗教と思われがちなあの方々はクリスマスをやりません。エホバの証人はクリスマスをしないエホバの証人とは「神」を崇拝し「聖書」を勉強する団体です。すなわち、宗教家というよりも、神の教えを学び研究していく方々という考え方のようです。そしてイエス・キリストはその代弁者という位置づけです。で、そんなイエスを祝わないのは何故なんだ?という疑問が湧くわけですが、これは公式サイトに記載されております。エホバの証人はなぜクリスマスを祝わないのですか?イエスは、自分の誕生ではなく死を記念するよう命じました。―ルカ 22:19,20。
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イエスの使徒たちと初期の弟子たちは,クリスマスを祝いませんでした。
「新カトリック百科事典」(英語)によれば,「キリスト降誕の祭りが行なわれるようになったのは,早くとも[西暦]243年以降」であり,使徒たちの最後の一人が亡くなって1世紀以上たってからのことです。引用:エホバの証人 エホバの証人はなぜクリスマスを祝わないのですか
https://bit.ly/2iykYVrようは、お誕生日会はやらないぜ。という趣旨があるようです。その他、輸血はしない、偶像崇拝はしない、などなかなか厳し目の取り決めがあり、とてもクリスマスなどが許される状況ではなさそうです。ただネットの書き込みを見てみますと最近はそのへんがゆるいようで、個人個人の解釈があるようです。ということで、それぞれの考え方があるわけですが、クリスマスは「イエス・キリスト」の誕生日ということである意味誕生会をするようなものであり、あまり宗教観を入れて考えないほうが良さそうでありそれを踏まえると尚更日本における性なる夜はおこがましいことだと痛感させられるわけです。
秒刊SUNDAY
「エホバの証人」は「クリスマス」をやらない何故か
コメポ
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お寺でクリスマス?我が家は仏教ですので今まで一度もクリスマスはした事がない 関係ないから世の中見ているとキリスト教の人 多いですね びっくりです しかし日本には教会よりお寺が多く墓参りに行く人が多いんだな!不思議です
キリストの降誕祭は冬至にこじつけって言う。エホバ神ものみの塔の方々は新約聖書では無く旧約聖書を読み信仰する方ですからイエス・キリストは関係ないと昔彼等から聞いたよ。パンはイエスの身体でワインが血を表す。
クリスマスを祝わないなら、ボクシング・デーやイースターにも関心が無いのか?世間的に見て味気なく虚しい感じがしてならん!
キリストは道を説いたのであって、キリスト教を説いたのではありません。
道に至る教えを説く、手段が単なるエホバであり、便宜的に、キリストを持って来たと言えます。
キリストは愛を全面に説き、愛は自由で、束縛も契約も、他人から生きる権利さえも奪いません。
キリストは父に祈り、愛を通して私達を道に導いた指導者です。
道に至る教えを説く、手段が単なるエホバであり、便宜的に、キリストを持って来たと言えます。
キリストは愛を全面に説き、愛は自由で、束縛も契約も、他人から生きる権利さえも奪いません。
キリストは父に祈り、愛を通して私達を道に導いた指導者です。
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てか、イエス様の誕生日はホントは初秋辺り。降誕祭は後付けなんだよね。まだ所謂、黎明期の頃に何とかキリスト教を広めようと土着宗教のお祭りと融合させた結果、今日の日付になったんだよね。今、推測されてるのはローマの農耕神の祭りと、ブルーマリア祭との日付の融合。それが12月25日。
エホバの証人は新興宗教であり、我々とは流れが異なるので、私自身は良しとは思ってないですね。