
こんにちは、ライターの岡本ハナです。私の長女はADHDと強迫性障害を併せ持つ、いわゆる発達障害児ちゃん。今回は、そんな娘が小学3年生の頃、日々繰り返される「忘れ物」や「なくしもの」をめぐって、私が感じていた不安や葛藤についてお話ししたいと思います。※画像はイメージです学校でなくしものが多すぎる…これって本当に「うっかり」?水筒がない。筆箱の鉛筆が足りない。日々の忘れ物に、私は「ADHDの特性だから仕方ない」と思っていました。注意の切り替えが苦手で、次の行動に抜けが出る……。そう考えると、診断名で説明はつくかもしれない。それに、まだ高学年ではないんだし、こんなことがあっても仕方のないことなのかな。そう思っていました。でも、少しずつ「これは本当にそうなの?」と感じ始めました。小さな文具が次々になくなりはじめた頃、娘は「自分でなくした」と言っていたけど……この筆箱の傷は、なに? 落書きならまだわかる。でも、刃物のようなもので引っかいた傷が何本も刻まれていたのです。娘に問いただしたら「これも自分でやった」というのですが、胸がざわつきました。本当に娘が自分でやったのだとしても、それはそれで深い闇があるような気がしてならなかったのです。顔色をうかがう娘に心が痛むある日、校帽をかぶらずに帰宅してきたので、どうしてか聞いてみたら「どこを探してもないんだよ」と言う娘。翌朝、一緒に探すと、帽子はロッカーからも席からも遠く離れた教室の隅に落ちていました。「なんでこんなところに?」「ママ、本当に私はちゃんとしまったんだよ。怒らないで!」当時の私は、思い通りに子育てがいかず怒ってばかりいたのですが、こればかりは娘への怒りはなかったです。むしろ、こんな時にまで娘が私の顔色をうかがってきたことに、胸がしめつけられる想いでした。本編では、発達障害の特性ゆえに忘れ物やなくしものが絶えない娘と、それに悩む母の葛藤をお伝えしました。▶▶私が見逃してしまった娘のSOS。次々となくなる持ち物、まさか本当にいじめ?その真相はでは、母が後悔とともに振り返る「なくしもの」の真相、そしてその先にあった“ある事実”をお届けします。
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