*TOP画像/小一郎(仲野太賀) 藤吉郎(池松壮亮) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』2話(1月11日放送)より(C)NHK 『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は戦国時代における「農村の暮らし」について見ていきましょう。農村の過酷な暮らしの実態とは日本において近代以前は人口の9割程度が農作業で生計を立てていたともいわれており、戦国時代といえども武士は社会においてごくわずかにすぎません。兵農未分離(へいのうみぶんり)といわれる時代であり、武士が農民よりも偉かったわけではないものの、この時代についても農村での暮らしは苦しく、百姓は大名や領主への税(年貢)に苦しんでいました。農村部で暮らす人たちの食事は質素であり、米は年貢でほとんど取られたため、雑穀や麦などを米に混ぜて食べていました。また、米や雑穀がないときは野菜や木の実、木の根を煮て食べることもありました。村人たちが団結して地域運営を行っており、年貢となる米は村単位で納めていたため、横のつながりが根強くありました。戦が起きれば、戦地に行くことも……百姓の仕事は稲作や野菜の収穫だけではなく、土木工事や祭りの開催、合戦で使う食糧の運搬などさまざまでした。さらに、それぞれの家に武器があり、近隣の村から敵が攻めてきたら、武器を持って戦うこともありました。戦が始まれば、農村で暮らす人たちも戦に動員されました。加えて、農作業が行えない時期に働く場所といえば戦場くらい。このため、次男、三男は戦場に行き、家族を養うために命がけで働いていました。『豊臣兄弟!』の1話にも「皆の者~!戦じゃ~!備えよ~!」という呼びかけがあると、百姓が「待ってました~!」と喜々と叫ぶシーンがありましたが、戦は食い扶持確保のための絶好の場だったのです。百姓の多くは雇い主と主従関係を正式に結んだわけではないため、戦場で活躍しても恩賞の対象にはなりませんでした。さらに、戦国武将と聞いて多くの人がイメージするような、立派な兜も刺繍が施された豪華な鎧もありません。豊臣兄弟の父も農業に従事していましたが、戦が起きると織田家(織田信秀)の兵士として動員されました。本作においても採用されていた説ですが、戦で受けた傷が原因で、若くして亡くなったと言い伝えられています。略奪(りゃくだつ)におびえる名もなき民たち『豊臣兄弟!』にも描かれていたように、農民は年貢や空腹に苦しみ、戦闘員として命を失う恐れがあっただけではなく、敵兵(普段は百姓として暮らす者を含む)や野盗からの略奪を恐れていました。兵士や野盗は敵地の人をさらって、身代金をかけたり、奴隷として売り飛ばしたりすることもありました。また、民家にある食糧や家財などを奪い取ったり、家や村を焼き払うこともありました。本作の1話では野盗が直(白石聖)を攫い、織田家に身代金を要求しようとしていましたし、2話では野盗や兵に村が襲われ、村は悲惨な状況になっていました。史実においても似たようなことはあったのです。兵士の敵地での残虐な行為は戦地で食糧や生活必需品を確保するための一般的な方法であり、軍事作戦としても認められていました。兵士が略奪行為を行うと聞き、私たちは“兵士ってひどい”と思うかもしれません。けれども、兵士の中でも身分が低い足軽の報酬は戦の勝敗にかかわらず少なかったため、彼らも生き抜くために必死でした。本編では、戦国時代における農村の暮らしと、名もなき人々が置かれていた過酷な現実についてお伝えしました。▶▶これがこの世じゃ! 『豊臣兄弟!』第2話が突きつけた戦国の理不尽。小一郎と直の未来に光はあるのか……では、第2話を通して描かれた小一郎の心の変化と、家族の言葉がもたらした決断の瞬間を振り返ります。<参考資料>大石学(監修)『一冊でわかる戦国時代』河出書房新社、2020年鈴木眞哉『戦国時代の大誤解』PHP研究所、2019年日本史の謎検証委員会(編集)『最新研究でここまでわかった戦国時代通説のウソ』彩図社、2018年NHK出版(編集)『NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 豊臣兄弟!: 豊臣秀長とその時代』NHK出版、2025年
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