未来の命につながる判決だ

コメポ

あの時、あのとんでもない大きさの津波をどこの誰が想定出来たのだろうか。大地震があり、気象庁の津波情報がでたが、あの大津波を気象庁も想定していなかった。大津波の情報をいち早くキャッチしたのは、航海中の海自や海保の艦艇だったが、いったいどれくらいの災害になるかは想像だに出来なかった。そういうことではないのかな。
判決を妥当と思いませんね。確かに誘導ミスをした教員達は情報を疎かにし判断を誤った。遺族の怒り・責任をその時の教員達に向ける。そこまでは分かる。だが、市と県に何の責任があるのか?私は、そこは疑問である。
子供を迎えにくる親が立て続けに現れて、全校避難のタイミングを失ったのではないかな。

「そろそろ山に向かわないと」
「しかし親御さんが次々迎えに来られるし」
「迎えに来たのに子供たちがいなかった、では申し訳ないですね」
「もう少し待ってみましょうか。保護者に引き渡せばお互い安心できますし」
「児童の数が少ない方が、避難誘導の際に我々の目も届きやすいですしね」


…なんてやり取りがあったんじゃないかなあ、と…
なんかスッキリしないな。
子供の命が奪われたと言う発想が違う気がする。
先生達だって何も自分も含めて子供達を危険な目に合わせたいとは思ってなかっただろうし。
「先生の言う事を聞いたから死んだ」みたいな発言には、正直悪意を感じる。
あくまでも自分達は被害者で可哀相なんだ的な感じが凄く嫌だ。
先生だって被災者だし、先生の家族だって被災してるんだから自分達だけ被害者みたいな顔をするのは、絶対に違うと思う。自己中な言い掛かりにしか聞こえない
うーん、未来の命につながる判決ねぇ…。そうとは思えない。何かこの裁判気持ち悪くて。言いたいことは分かるけど、ここまでしなきゃいけなかったのが分からない。誰かのせいにしないと気がすまないのか。今時、誰か(学校)がなんとかしてくれる(助けてくれる)と思うのもなぁ…。
教員は、学校で生徒を教育、指導するのが役目で、武家時代のお目付け役でもあるまいし、
自分の命を捨ててまで、生徒の命を守らなければならない、という立場ではないと思う。
ガードマンとして雇われているわけでなし。
はっきり言って、あの時、自分だけ逃げて助かった教職員がいたとしても、誰も責められない、何も悪くないと思う。
障害者施設や介護施設で似たことがあっても、誰もこんなに責めませんよね。
その差は何ですか?
親御さんの気持ちを思うと言葉が出ません…
親御さんだけじゃない、あの津波で亡くなられた方がどれだけ苦しい思いをされたか…

判決に微妙な気持ちになりました。想像もつかなかった大津波。誰のせいでもない。どこにいても安全ではないんです。
お子さんを失った親御さんの悲しみや苦しみ、ぶつけようのない怒りは私たちにははかり知れません。
なので私には親御さんを批判することはできません。
判決を機にこれからの人生を少しでも前向きに生きていってほしいと願います。
死なせたくて死なせたわけじゃない。引率していた先生も死亡している。まさかこんな所まで津波が来るとは思わなかった。余震が続くなか帰宅できない子供達と夜を過ごす可能性も考えたかもしれない、高台の山に逃げても、夜になったら逆に子供達に危険になる。様々な事を考えてしまい、瞬時に判断して行動するのは本当に難しい。結局もうすこし様子をみて行動しようになる。後だしじゃんけんなら誰でも批判できる。こんな風潮なら、今に大災害の時は学校は責任を持てません。親が迎えに来て下さいとのマニュアルが出来てしまうだろう。
賠償金を支払うのは、県と市との事ですが、訴えられた当事者は一緒に亡くなられた先生方だと思うと切なくて涙が出てくる。
巨大津波を予測出来て自分だけ逃げて生き延びた訳ではなく、予測出来なかったから一緒に亡くなられた。
あまりに非情だ。
自分達は迎えに行かなかったのを棚に上げ、先生を罵倒しているあたり何だか腑に落ちない。

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