残酷すぎて削除された童話

コメポ

「子どもたちが屠殺(とさつ)ごっこをした話」というグリム童話の問題作をご存知だろうか。血なまぐさいという理由でよく削られているこの作品。子ども向けとは思えない内容で展開し、残酷で衝撃的なラストで締めくくられている。あまりに酷いので細かい描写は省くが、少しだけあらすじをご紹介したいと思う。

■第一話

「オランダのフラネッカーという町で子供たちが料理番や家畜になって屠殺屋ごっこで遊び、"豚"役の子供を本当に殺害するという事件が起こりました。"肉屋"役は裁判にかけられ、裁判長は『林檎と金貨を彼らの目の前に用意し、林檎を選んだら無罪、金貨を選んだら死刑』と提案。判定当日、子供たちは笑いながら当然のように林檎を選び、無罪が確定してしまいました」

■第二話

「父親が家畜の豚を殺し、調理する様を見たある兄弟。父親を真似て、ある日それぞれ肉屋役、豚役となって兄が弟を殺してしまいます。まだ幼い末子に湯を使わせていた母親は、その光景を見て飛んできます。パニックになり、弟の喉もとの包丁で兄を刺してしまう母親。その隙に末子が風呂場で溺れ死に。錯乱状態になった母親は首をつって自殺します。畑仕事から戻った父親は地獄のような光景を見て精神が崩壊。まもなく死んでしまいます」

この作品は当初は初版に収録されていたが、あまりの残酷さから第二版以降は削除されている。何が言いたいのか全く理解不能だが、1話は"正義の無力さ"、そして2話は"無知が諸悪の根源"というメッセージ性が含まれているそうだ。

これは、かなりのえげつなさだけど、私の子供の頃のおとぎ話は日本のも海外のも今よりずっとえげつなかったよ。
かちかち山なんて、おバーさんは狸汁で食べられちゃうし。
でも、だから教訓だったのよね。怖かったもの。今みたいに最後は皆仲良くね、なんて結末は結局悪さしてもいいんだ…につながってる気がするね
本来のグリム童話は、童話というよりオブラートの無い寓話。意味深い話です。
人の命の重さと料理する為に動物を屠殺する違い。子供が人を殺めていながら林檎とお金で裁き、罪の大きさを教えない大人達。そして、真似する子供達の行う無知という罪の結果。
今の時代、戒める為に必要と思いますよ。
子供に綺麗な物しか見せないと判断力や善悪を見極める力が退化してしまう。

残酷と思える童話でも子供達に考えさせるには良い教材なのではないだろうか

後の人の手で編集されるより、ありのままを伝えた方が良いと思う。
この話、結構好きだけどなぁ。世の中、ハッピーエンドばかりでないんだから。

シンデレラも本当は、靴が入らなかった姉に激怒した母親が、つま先とかかとを切り落とすって内容があったはず。
まぁ現代の「内部ではロクに教育しないくせに、外部からの影響に関しては敏感」な親は嫌うわな。
立派にメッセージ性があるじゃない。
確かに残酷だけど、なかなか意味深い童話で、私は好きだけどな。

中世から近世ヨーロッパにかけて、子どもへの家畜に使う鞭や棒を使った虐待そのものの「躾」が蔓延していたことから「子どもを家畜のように扱うと、子どもも他人を家畜のように扱うようになるよ」という戒めが含まれているのでは、とか…
やってはいけないことを教える教育の大切さを感じることが出来る内容

あと、少年法の無力も感じた…

1話目を読んで、なんだか少年法のような話しだなと思ってしまった!
でもお伽話って残酷なものが多いと思いますが…。猿カニ合戦で猿にあそこまでしなくてもって思うし、タヌキの背負った槇に火をつけたり、人間だったら死ぬしょ。狼少年も最後少年に群がる狼を想像すると『バイオハザード』の世界だし、悪い事すると残酷に殺されると言う風刺なんでしょ!政治家に見せてあげないと。
残酷な物語も物語として耳から“話して"聞かせるのは教育になるそうです。
但し、同じ残酷な物語でも漫画や絵などにして目からの直接的刺激にするのはよくないそうです。
これは昔学校で習って印象に残った覚えがあります。
“残酷だから"となんでもかんでも排除するのではなく、やり方を考えて伝えるべきところ、教育すべきところはきちんと学習させていくことが大切なのではないかなと思います。

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